ポガチャルが立ちこぎを使わなかった理由
座ったまま千切る
― ポガチャルが立ちこぎを使わなかった理由
2026年4月26日、リエージュ・バストーニュ・リエージュ。コート・ド・ラ・ルドゥートの登りで、世界チャンピオンであるタデイ・ポガチャルがアタックを仕掛けた瞬間、これに食らいつけたのは19歳のポール・セクサスただ一人だった。残りのトップ集団は瞬時に振り切られ、レドゥート頂上で25秒、続くロッシュ・オー・フォーコンの中腹でセクサスもついに脱落、ポガチャルは単独で4勝目をあげました。
このアタックが、世界中のレースファンを驚かせたわけですが、私が一番驚いたのは「アタックされたこと」ではありません。ポガチャルがそのアタックを シッティング(座ったまま) で成立させていた、という事実そのものです。
今回はこの一瞬の映像から、ロードレースにおける「シッティング加速」という技術について、現場で考えていることを書いてみたいと思います。
同じシッティングでも、質はまったく違う
レドゥートでの加速をもう一度思い出してみます。ポガチャルもセクサスも、確かに二人ともシッティングでした。しかし、その質はまったく違うものに見えました。
正直に言って、ポガチャルのペダリングを見たときに私の頭に浮かんだのは、「キツいのか? 余裕があるのか? 何ワットなんだ? もしかして 500W 出ているのか?」という、まとまらない問いの連続でした。映像から出力を読み取ろうとしても、手がかりが薄いのです。それくらい、上半身が静かでした。
これは、世界トップに辿り着いた者だけがたどり着く、加速の「質」だと感じています。
なぜシッティングのほうが効率的なのか
原則として、加速も登坂もシッティングのほうが効率的です。理由はいくつかあります。
まず、ダンシングのように全身を使わない分、心拍を一定に保ちやすい。そしてもうひとつ重要な点があります。ダンシングには「立ち上がる動作」と「座り直す動作」というロスポイントが必ずついてくる、ということです。立ち上がる瞬間にペダリングのリズムが揺らぎ、ダンシングで加速したあとシッティングへ戻ろうとすると、移行で失速することもある。これが意外と大きい。
ポガチャルは長年のパーソナルコーチであるイニゴ・サン・ミラン博士とともに、「シッティングのままで加速できる脚」を意識的に積み上げてきたと話ています。ダンシングよりシッティングのほうが省エネであり、そのぶん高出力を長く維持できる── この原理を、世界トップが意図して武器化してきたのだ、と。
とはいえ誤解してほしくないのは、ダンシングはロードレースに絶対に必要な要素だということです。20秒程度の鋭い加速にも使うし、登りの途中で意図的に「休むダンシング」を入れる場面もある。問題はそこではなく、本当はシッティングで踏み切れるのに、それができないからダンシングに頼ってしまう、という構造のほうです。
多くの選手は、ダンシングしたくてしているわけではない
選手を長く見てきて気づくのは、ダンシングをしたくてしている選手は、実はそこまで多くない、ということです。シッティングで欲しいパワーが出せないから、結果としてダンシングに切り替えている── これが多くのケースの実態だと感じています。
軽量な選手の場合は、筋力的な問題で踏力が小さく、感覚的にはダンシングのほうが楽に感じる人もいます。これは生理学的にも納得できる話です。ただし、ここから一歩進んで強くなっていくためには、シッティングでしっかり加速させていける脚を作っていく必要があると、私は考えています。
そして、それが言うほど簡単ではないからこそ、ロードレースは奥が深いのだと思います。
シッティングで加速する脚は、どう作るのか
では、シッティングで加速できる脚を作るには、どう練習すればいいのか。じつはこれが、なかなか難しいテーマです。
まず原理原則のイメージを持つ
自転車というのは、ある意味で「加速の連続」で進む乗り物です。ペダリングを一回踏み込むことで進み、次の脚に切り替える瞬間、つまりトルクが抜けるごく短い時間に、厳密には減速している。そしてまた次のペダリングで加速する── これを繰り返しています。勾配がきつくなればなるほど、この「失速しようとする力」は大きくなります。
ということは、トルクがかかっている時間が長いほど、右から左へとペダリングが移行するときに生じるロスを減らすことができる。これがシッティング加速の原理原則的なイメージです。まずここを身体感覚として持つことが、最初のステップだと考えています。
負荷のかかった状態から、シッティングだけで加速する
このイメージを土台にしたうえで、実際の練習に進みます。私が選手によく取り入れてもらうのは、ある程度の負荷がかかった状態(登坂や向かい風など)から、シッティングのままで加速する練習です。立ち上がりたくなる場面で、あえて立たない。座ったまま、ぐっと出力を上げにいく。
そして次に大事なのは、その加速で使ったパワーと同じくらいの出力を、数十秒間 持続的にペダリングする練習を組み合わせることです。「一瞬出して終わり」では、加速の脚にはなっていきません。
ここで、軸を絶対にブラさない
そして最も重要なのが、軸の話です。軸をブラしてでも加速させてしまうと、そのペダリングでは持続が利かない。体力的にもたず、結局は一瞬の加速で終わってしまうのです。だからこそ、軸をブラさずにシッティングで加速できるかどうかが、すべての分かれ目になります。軸が保てていれば、省エネで、かつ力強いペダリングへと自然につながっていきます。
パワー値が上がっても、自転車は前に進まないことがある
ここからが、ホビーレーサーや若いサイクリストに最も伝えたい部分です。シッティング加速の話を聞いて、「よし、ダンシングをやめてシッティングで踏もう」と思ってくれるのは、とても良いことです。問題はその先にあります。
多くの人が陥る罠はこうです。ダンシングではキツいからシッティングで走る、ここまではいい。しかし、ダンシングと同じくらいのパワーを無理やり出そうとして、ペダリングがブレブレになり、体幹の軸が失われ、粗いペダリングになって、かえってパワーが逃げてしまう。
ここに「数字の罠」があると、私は考えています。粗いペダリングで軸を崩しながらでもペダルに力を入れると、たしかに クランクへ伝わるパワー値そのものは上がる。パワーメーターの数字としては立派に見える。
しかし、パワー値が上がっていれば自転車が前に進んでいる、という関係は、確実な比例ではないと私は感じています。粗いペダリングや軸ブレで力を入れにいくと、クランクへの入力は強くなる一方で、自転車そのものの「動き」をロックさせてしまう場面があるのです。
「パワーが出ている = 進んでいる」と単純に信じてしまうと、ここを見落とします。パワーメーターの時代だからこそ、数値が上がる動きと、自転車が伸びていく動きは別物だ、という感覚を持ち続けることが重要だと、私は考えています。
シッティングは、強くなる選手の「課題」
ポガチャルがレドゥートで見せた、あのスムーズすぎるシッティング加速。あれは天才の感覚だけで成立しているわけではなく、省エネで、長く、高出力を維持するための明確な技術として、意識的に積み上げられてきたものだと思います。
そして、これは世界トップだけの話ではありません。シッティングで加速できる脚を作っていくこと── 軸を保ったまま、座ったままで出力を上げていけること── これは強くなろうとするすべての選手にとって、避けて通れない課題だと私は考えています。簡単ではないからこそ、ロードレースは奥が深い。簡単ではないからこそ、取り組む価値がある。そう感じています。
ポガチャルのシッティングを支えているもうひとつの要素として、クランク長の短さがあるように私は見ています。クランク長と持続的なシッティングペダリングの関係について、Vol.004 で書いてみたいと思います。
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※ 本記事の見解は筆者個人の指導経験と現場観察に基づくものであり、ペダリングフォームや練習処方は個人の身体特性・脚質・目標により最適解が異なります。具体的な処方については、必ず信頼できるコーチや専門家にご相談ください。

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