Jonathan Milan|ジョナサン・ミラン

Rider's Portrait

1900ワットの優しき怪物
ジョナサン・ミランの肖像




フリウリの森が生んだ「ブヤの巨人」── その破壊的パワーと、少年のような笑顔の物語

RIDER PROFILE
ジョナサン・ミラン(Jonathan Milan)
国籍:イタリア(フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ブヤ)
生年月日:2000年10月1日
身長 / 体重:194cm / 84kg
チーム:Lidl-Trek

矛盾する質量


その男がペダルを踏み込むとき、自転車という繊細な機材は悲鳴を上げます。

カーボンファイバーのフレームが軋み、チェーンは断裂寸前の張力で張り詰める。出力計の数値は瞬きする間に跳ね上がり、1500、1700、そして1940ワットという異常値を叩き出す。それはもはやスポーツというより、物理法則への暴力的な挑戦に近いものです。家庭用の電子レンジを2台同時にフル稼働させるほどのエネルギーが、たった一人の人間の脚から、わずか数秒の間に爆発するのです。

ジョナサン・ミラン。身長194センチ、体重84キロ。
現代のプロトン(集団)において、彼の存在は「バグ」のようなものではないかと私は感じています。重力に抗うために極限まで肉を削ぎ落としたクライマーたちが支配するこの世界で、彼はまるで古典的な神話から抜け出してきた巨人のように聳え立っている。

しかし、カメラのレンズが捉える彼の本質は、その破壊的な出力の中にはないように思えます。ゴールラインを切り、荒い息を吐きながら自転車を降りた直後、彼の顔に浮かぶのは、戦士の獰猛さではなく、驚くほど無防備で少年のような笑顔です。

「最高だよ。みんなのおかげだ」
── ゴール後、チームメイトを巨大な腕で抱きしめながら

世界最速の男の一人でありながら、誰よりも心優しき青年。フリウリの霧深い山々が生んだ「ブヤの巨人(Il Gigante di Buja)」の物語は、この矛盾の中にこそ宿っているのではないでしょうか。


泥と遊びの記憶


イタリア北東部、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州。アルプスの麓に位置するこの土地は、歴史的に「耐え忍ぶ人々」の土地として知られています。厳しい冬、荒々しい山肌、そして震災からの復興。フリウリ人のDNAには、困難に対して黙々と立ち向かう「不屈(Resilience)」が刻まれていると言っていいのかもしれません。

2000年代初頭、ブヤの町外れの森に、泥だらけになって走り回る少年の姿がありました。幼いジョナサンにとって、自転車は苦行の道具ではなく、純粋な「遊び」の相棒だった。父フラヴィオは元選手でしたが、息子にエリート教育を施すことはなかったといいます。

「楽しめ、ジョナサン。泥の水たまりを見つけたら、避けるんじゃない。飛び込むんだ」
── 父フラヴィオ・ミラン

父が友人と立ち上げた地元のチーム「Jam's Bike Team Buja」は、エリート養成機関とは程遠い、家族のようなコミュニティでした。ジョナサンはそこで、マウンテンバイクに跨り、友人のマルコや弟のマッテオと共に野山を駆け巡った。転べば笑い、擦り傷を作っては勲章のように自慢し合う。

彼の原点は、勝利への渇望ではなく、風を切る喜びと、仲間と共にいることの温かさにあったのだと私は思います。

もう一つの夢

「もし自転車選手になっていなければ、パイロットになりたかった」── かつて彼はそう語ったことがあります。スピードへの憧れ。機械を操ることへの執着。そして何より、デザインやグラフィックを学んだ彼特有の感性が、レースという混沌としたキャンバスを俯瞰で捉える能力を育んでいったのかもしれません。柔道や空手で培った体幹の強さも、後のスプリンターとしての資質を形作っていきました。

当時の誰も想像していなかったのではないでしょうか。この泥だらけの少年が、やがて世界の頂点で「0.1秒」を削り出す怪物へと成長することを。


0.166秒の魔法


2021年8月、伊豆ベロドローム。
静寂が支配する木製トラックの上で、ジョナサン・ミランは極限の緊張の中にいました。東京オリンピック、チームパシュート決勝。相手は世界最強のデンマーク。

4kmを4人で走るこの競技は、自転車競技の中で最も残酷なシンフォニーだと私は感じています。先頭を走る者は空気の壁を切り裂き、後ろの者は前の選手のタイヤから数センチの位置でスリップストリームに身を潜める。一瞬の判断ミス、一瞬の出力低下が、チーム全員の敗北を意味する。

レース終盤、イタリアチームの隊列は崩壊寸前でした。リードを許している。肺は焼けつくように熱く、脚は乳酸で鉛のように重い。だが、ミランの巨体は揺るがなかった。彼は機関車のように風を受け、チームのエースであるガンナへとバトンを繋ぐ役割を全うしなければならない。

残り1000メートル

視界が狭まる。音が一瞬、遠のく。その時、彼の脳裏をよぎったのは、メダルの色ではなかったといいます。練習を共にしてきたシモーネ・コンソンニやフランチェスコ・ラモン、そして兄貴分のガンナの背中だった。

(こいつらのために。絶対に、緩めない)

個の限界を超えたその一踏みが、歴史を変えました。

3分42秒032。世界新記録。
デンマークとの差は、わずか0.166秒でした。

ゴール直後、ミランはハンドルに突っ伏し、そして咆哮した。チームメイトたちが抱き合い、互いの背中を叩き合う。涙と汗が混じり合うその光景は、彼に一つの真実を刻み込んだのだと思います。

「個人の勝利よりも、仲間と掴む勝利の方が、遥かに美しい」
── 東京オリンピック後のインタビューより

このトラックでの経験が、ロードレースという孤独な戦場においても、彼を「最強のチームプレイヤー」として留まらせることになります。


不屈のエンジン


ロードレースの世界に本格参戦したミランを待っていたのは、賞賛ばかりではありませんでした。

「あんな巨体で、グランツールの山を越えられるわけがない」
「トラック専用の筋肉だ。3週間のレースには耐えられない」
── ミランに対する懐疑論

しかし、2023年のジロ・デ・イタリアで、彼はその懐疑論をすべてねじ伏せました。世界が彼を「スプリンター」として認知した第2ステージ。ゴールまで残り4km、集団前方で落車が発生し、プロトンが分断されます。ミランは後方に取り残された。通常のセオリーなら、ここで勝負は終わりです。

だが、ブヤの巨人は諦めなかった。

彼は無線の向こうの監督が指示を出す前に、自らの判断でエンジンに点火しました。1900ワット。彼の脚が爆発的な回転を始めると、周囲の景色が歪んで見えたといいます。前の選手を次々と飲み込み、まるでビデオゲームのチートコードを使ったかのような速度で先頭集団に復帰する。

息を整える暇などない。そのままスプリントを開始する。残り200メートル。他のスプリンターたちが止まって見えるほどの加速。デッカーもグローブスも、彼の背中を見送ることしかできなかった。

両手を広げてゴールした瞬間、イタリア全土が新しいスターの誕生を知りました。落車、分断、絶望的なポジション。そのすべてを力尽くで覆した勝利。それは、フリウリ人の魂である「不屈」が具現化した瞬間だったのだと私は感じています。


重力という鎖

だが、彼にとって本当の戦いは、スポットライトを浴びない場所にありました。

山岳ステージ。体重の軽いクライマーたちが蝶のように舞う峠道で、84キロのミランは重力という鎖に繋がれた囚人のように苦しむ。「グルペット(完走を目指す後方集団)」の中で、彼はただ黙々とペダルを回す。チームメイトに励まされ、時には背中を押されながら。

「キツいさ。いつだって辞めたいと思うよ。でも、明日にはスプリントがある。僕のために風を受けてくれる仲間がいる。だから、山を登るんだ」
── レース後のインタビューにて、笑いながら

ジェントル・ジャイアントの休日


レースを離れれば、彼はただの「ジョニー」に戻ります。

Lidl-Trekのチームバスからは、しばしば大合唱が聞こえてくるそうです。
「Na-na-na-na-na, Johnny's on fire!」
90年代のダンスナンバーの替え歌を、チームメイトたちが窓ガラスが震えるほどの音量で歌う。その中心で、ミランは少し照れくさそうに、しかし嬉しそうにリズムを取る。

彼はムードメーカーであり、チームの愛すべき弟分です。食事の席では「ピザ論争」が勃発することもある。ライバルのギルマイがパイナップル入りのピザを食べているのを見たとき、彼は本気で頭を抱えたといいます。

「頼むよ、それは犯罪だ! ピザへの冒涜だ!」
── チームの食卓にて。食堂は爆笑に包まれたという

張り詰めたレースの日々の中で、彼の明るさと純粋な「イタリア人らしさ」は、チームの精神的な清涼剤になっているのだと思います。


静寂を求めて

オフの日、彼は自転車を置き、トレッキングシューズを履くそうです。

「人混みは苦手なんだ。檻の中にいるような気分になる」
── オフシーズンの過ごし方について

彼は一人でテントを担ぎ、静寂を求めて山へ入る。華やかな表彰台の喧騒から離れ、森の匂いを嗅ぎ、鳥の声を聞く。そこで彼は、1900ワットの出力を生み出すマシーンではなく、ただの自然の一部として呼吸する。

この静寂の時間こそが、彼が優しさを失わずにいられる源泉なのではないでしょうか。



■ Chapter 5

雨のヴァランス、混沌の中の覚醒


2025年、ツール・ド・フランス。
夢の舞台は、過酷さを極めていました。山岳でのタイムカットとの戦い。極限の疲労。第17ステージ、ヴァランスへ向かう道は、激しい雷雨に見舞われます。

視界は最悪だった。路面は油と水でスケートリンクのように輝いている。残り数キロ、集団前方で金属音が響いた。大規模な落車。ライバルたちがアスファルトに叩きつけられる中、ミランの「動物的直感」が作動しました。彼はコンマ数秒で落車の連鎖を予見し、わずかな隙間を縫って回避した。

残ったのは10名ほどの小集団。心拍数は限界を超えているが、彼の頭の中は氷のように冷えていたといいます。トラック競技で培った「制御」と、ロードで学んだ「混沌への適応」が融合する。

スプリント開始 ── 時速70kmの接触

右側からアルノー・デリエが並びかけてくる。二人の肩が激しくぶつかる。時速70kmでの接触。普通なら恐怖で足が止まる場面です。

だが、ミランは引かない。
(ここは僕の場所だ)
84キロの巨体は、岩のように揺るがない。彼は接触の衝撃すらも推進力に変え、雨飛沫を切り裂いて加速しました。

ゴールラインを切った瞬間、彼は空を指差した。それは誰かへのアピールではなく、自分自身への証明だったのだと私は感じています。どんなに苦しくても、どんなに状況が悪くても、最後まで踏み続けた者だけが見ることのできる景色がある。


パリ・シャンゼリゼ

夕暮れの石畳を、緑色のジャージ(マイヨ・ヴェール)を着て疾走する彼の姿がありました。表彰台に立った彼の横には、総合優勝者のタデイ・ポガチャルがいる。しかし、観客の視線は、この巨大で、どこか愛嬌のある男に釘付けだった。

「ここに来るまでのすべての痛みに、意味があったんだと思う」
── 少し目を潤ませながら

そして彼は、いつものようにチームメイトを探して視線を彷徨わせた。
「ほら、みんな来てくれよ!」
世界最高の舞台で、彼はやはり仲間たちを呼び寄せ、あの巨大な腕で全員を抱きしめました。


帰るべき場所


シーズンが終わり、ブヤの町に冬が訪れる頃。実家のカーテン店には、相変わらずファンが訪れ、広場には彼の等身大パネルが飾られている。父フラヴィオは「あいつのせいで店が忙しくてかなわんよ」と笑いながら、誇らしげに息子の写真を磨いています。

森の奥深く。落ち葉を踏みしめる音が響く。ジョナサン・ミランは一人、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでいた。ここにはワット数も、順位も、歓声もない。あるのは、少年時代と同じ、木々のざわめきと湿った土の匂いだけです。

「さあ、帰ろうか」
── 彼は山を降りる。家では母のラザニアが、そして何より愛する家族が待っている

明日になればまた、彼は自転車に跨るでしょう。苦しみも、喜びも、すべてをそのペダルに乗せて。



【Jamcycle 機材インフォメーション】

Jamcycleでは、プロ選手が使用するホイール・フレームに関するご相談を承っております。
レースの熱を感じたら、ぜひご自身の脚でその「速さ」を体感してみてください。

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