Wout van Aert∣ワウト・ファンアールト
術後3日で自転車に跨った男。
ワウト・ファンアールト、
ストラーデビアンケへの67日間
雪の中の骨折から、トスカーナの白い砂利道まで ── 31歳が見せた「折れない意志」の記録
2026年3月7日、イタリア・トスカーナ。ストラーデビアンケのフィニッシュラインを、ワウト・ファンアールト(Visma | Lease a Bike)が10位で通過しました。
5年ぶりのストラーデビアンケ。わずか2か月前に足首を骨折し、手術を受けた身体で。
10位という数字だけを見れば、特筆するほどの結果ではないのかもしれません。しかし、この「10位」に至るまでの67日間を知ると、その意味は全く変わってくるように思います。
これは、31歳のベルギー人が見せた「折れない意志」の記録です。
ファンデルプールとの対決、
着実に上がり続けるコンディション
2025年11月、ファンアールトは冬のシクロクロスシーズンに向けて8レースのスケジュールを発表していました。友人のダーン・スーテとトレーニングを重ね、パリ〜ルーベのコースをスマートグラスで撮影しながら試走するなど、精力的に準備を進めていたようです。
12月20日のアントワープUCIワールドカップで今季初戦。マチュー・ファンデルプールとの対決で力強い走りを見せましたが、5周目のパンクに見舞われ7位に。しかしその後、ホフスタードで2位、ヘウスデン=ゾルダーでもティボール・デルグロッソとの僅差のスプリントで2位と、着実にコンディションを上げていました。
調子は上向き。シーズン後半への期待が膨らんでいた ──タイミングで、悪夢が訪れます。
雪の中のファンデルプール戦。
すべてを変えた一瞬の落車
2026年1月2日、ベルギー・モル。ジルバーメールクロス。
大雪のなかで行われたレースは、ファンアールトとファンデルプールの壮絶な一騎打ちに発展していました。残り2周、雪に覆われた舗装区間のコーナーでファンデルプールが先に滑りますが、体勢を立て直します。
直後にいたファンアールトは、反応しきれませんでした。
右足首と膝を強打して落車。
膝から出血しながらも再び自転車に乗ろうとしましたが、ピットエリアに到着した時点で体重をかけることができず、リタイア。検査の結果、右外果(lateral malleolus)の骨折と靭帯損傷が判明します。翌1月3日、ヘレンタルスの病院でプレートによる骨接合術が行われました。
シーズン中盤での骨折。春のクラシックに間に合うのか。多くの人が不安を感じたはずです。
しかし、ファンアールトの「次の一手」は、誰の想像をも超えていました。
「手でペダルから足を外さなければならなかった」
── それでも漕ぎ続けた理由
チームコーチのヤン・ボーベンは「1週間後にローラー台でトレーニングを再開できるだろう」と見込んでいたそうです。
ファンアールトは術後わずか3日で自転車に跨りました。
この事実だけでも十分に衝撃的ですが、その時の状況を知ると、彼の覚悟の深さがさらに伝わってきます。
ペダルから足を外すのに手が必要。サンダルでも乗れない。それでもシューズを改造して、漕ぎ続けた。
この言葉を読んだとき、私は思わず息を飲みました。これは根性論ではなく、ファンアールトという人間の「自転車から離れていられない」本能のようなものなのかもしれません。
術後10日で33km。2週間で184km。
常識を覆す復帰ペース
1月3日 ── プレートによる骨接合術
1月6日 ── 術後3日で自転車に跨る
1月12日 ── 初の屋外ライド 33km(Strava「勝利の月曜日」)
1月13日 ── スペイン・ラヌシアのチーム合宿に合流
1月15日 ── ヨルゲンソンらと 109km / 獲得標高2,119m
1月17日 ── 184km / 6時間(術後最大のトレーニング)
2月4日 ── シエラネバダ高地合宿(3週間)開始
2月25日 ── 体調不良でオムループ欠場
3月3日 ── ル・サミン(2026年初レース)── パンクでリタイア
3月7日 ── ストラーデビアンケ 10位
術後10日目の屋外初ライド。Stravaに投稿されたタイトルは「Gewonnen Maandag(勝利の月曜日)」。フランドルの伝統行事「Verloren Maandag(失われた月曜日)」のもじりです。骨折で「失われた」はずの日々を、自らの脚で「勝利」に変えようとする ── ファンアールトらしいユーモアと覚悟が、この一言に凝縮されているように感じます。
コーチのボーベンはこう語っています。「休んだ期間が短かったことが大きい。ほとんど遅れていないし、春のクラシックに向けて十分に準備できる」
記録的な悪天候、インドア3.5日。
それでも「楽しめるようになってきた」
2月4日、ファンアールトはスペイン南部のシエラネバダにあるCentro de Alto Rendimiento(標高2,320m)へ。チームメイトのキーリッヒ、アフィニ、ラポルト、ベーレンス、アルミライユ、ピガンツォリとともに、3週間の高地トレーニングに入りました。
しかし、ここでも試練が待っていました。
合宿初週、記録的な悪天候に見舞われます。24時間で200リットルの降雨量、スキー場も閉鎖。最初の5日間のうち3.5日はインドアトレーニングを余儀なくされました。
それでもファンアールトは前向きな姿勢を崩しませんでした。Stravaには「I'm starting to appreciate it(楽しめるようになってきた)」と投稿しています。
2月7日に天候が改善すると、グラナダまで下りてピガンツォリとともに127km / 獲得標高1,600mの初の屋外ライドへ。Stravaには「Blue sky scenario」と記しました。その後も119.5km、191kmと距離を伸ばし、合計7,000m以上の登坂を消化。ただし、足首にはまだテーピングを施しながらのフィジオセッションも継続していたとのことです。
本人はポッドキャストで正直にこう語っています。「ペダリング自体は快適圏内だけど、足首の最後の数度の動きがまだ痛い。全力スプリントはまだできない」
万全ではない。それでも、できることを積み重ねていく。この姿勢こそが、ファンアールトの強さの本質ではないかと感じます。
オムループ欠場、ル・サミンでのパンク ──
復帰レースにたどり着くまでの苦難
充実したシエラネバダ合宿を終え、2月28日のオムループ・ヘット・ニウスブラッドでシーズン開幕を予定していたファンアールト。しかし、出発3日前に体調不良が判明し、欠場を余儀なくされます。
ようやく迎えた3月3日のル・サミン。2026年の初レース。しかし、ゴール10km手前でガラス片を踏んでパンク。チームメイトの自転車、さらにチームカーの予備バイクに2度乗り換えましたが、レースには戻れませんでした。
ファンアールト自身は「同じコースを5〜6回走っていたのにあんなガラス片は初めてだった。偶然ではありえない」と妨害行為の可能性にまで言及しています。
骨折、手術、悪天候、病気、パンク ── これだけの試練が重なれば、心が折れても不思議ではないと思います。しかしファンアールトは、次のレースに向けて淡々と準備を続けました。
「僕の要望でカレンダーに戻した」──
自ら選んだ復帰の舞台
ファンアールトにとって、ストラーデビアンケは特別なレースです。2018年3位、2019年3位、2020年優勝、2021年13位。4回出場して3度の表彰台。しかし過去4年間は、チームの判断で出場を見送っていました。
2026年は違いました。
骨折明け、初レースではパンクリタイア、万全とは言い難い身体。それでも自ら「ここで走りたい」と申し出た。この判断に、ファンアールトのストラーデビアンケへの特別な想いが感じられます。
レース前日の月曜日には176.7km / 獲得標高4,000mという大トレーニングを敢行。ただし本人は「期待していたよりも疑問符が多い状態でスタートする」と率直に認めていました。
ポガチャルの78km独走、
そしてファンアールトが見せた「粘り」
レースはタデイ・ポガチャルの独壇場でした。モンテ・サンテ・マリエのグラベルセクターで残り78kmから独走を開始し、2位に1分差をつける圧勝。
ファンアールトは、決定的なセレクションのかかったモンテ・サンテ・マリエで脱落。骨折から67日の身体で、ポガチャルの背中を追い続ける脚はまだ戻っていませんでした。
しかし、そこから彼は崩れませんでした。粘り強い走りで順位を守り、最終的に10位でフィニッシュ。チームメイトのヨルゲンソンは8位でした。
「あともう少しだ」── この一言に、ファンアールトの視線がどこを向いているかが表れているように思います。10位で満足しているのではない。このレースは通過点に過ぎない。その先に、本当の目標がある。
フランドル、ルーベ、ツール・ド・フランス。
31歳の挑戦はまだ序章に過ぎない
ストラーデビアンケはあくまで2026年シーズンの序章に過ぎません。ファンアールトの次なるターゲットは、北のクラシックの頂点です。
ミラノ〜サンレモ:3月21日
ツール・ド・フランドル:4月5日(昨年4位からの雪辱)
パリ〜ルーベ:4月12日(昨年4位からの雪辱)
ツール・ド・フランス:7月4日〜
世界選手権モントリオール:シーズン後半の大目標
2024年のドワーズ・ドール・フラーンデレンでの落車。ブエルタでの落車。そして今回のシクロクロスでの足首骨折。幾度もの逆境を乗り越え、そのたびに戻ってくる ── それがワウト・ファンアールトという選手です。
術後3日で自転車に跨った。10日目に「勝利の月曜日」と名づけて屋外を走った。2週間で184kmのロングライドをこなした。雪のシエラネバダではインドアトレーナーに向かい「楽しめるようになってきた」と書いた。初レースではガラス片でパンクした。それでも次のレースのスタートラインに立った。
この67日間のすべてが、トスカーナの白い砂利道での「10位」に凝縮されていたのだと思います。
ワウト・ファンアールトは31歳。キャリアの終盤に差しかかっていると言う人もいるかもしれません。しかし私は、術後3日で自転車に跨る人間の闘志が、年齢で衰えるとは思えません。
2026年の本当の物語は、ここから始まるのではないでしょうか。
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