まだ、投げられないサングラス ── ジュリオ・チッコーネ、怒りと未完の物語
まだ、投げられないサングラス
── ジュリオ・チッコーネ、
怒りと未完の物語
短編。山岳賞の青を抱きしめた男が、それでも欲しかった、たった一度の勝利のこと。
国籍:イタリア/生年月日:1994年12月20日(アブルッツォ州キエーティ)
身長 / 体重:176cm前後 / 58kg前後
チーム:リドル・トレック
主な戦績:2023年ツール・ド・フランス山岳賞、2019年ジロ・デ・イタリア山岳賞、ジロ区間3勝(2016・2019・2022)
ドロミテの、怒り
2026年5月29日。ジロ・デ・イタリア第19ステージ。フェルトレからアッレゲへ、151km、6つの分類山岳、獲得標高は5,000mを超えるドロミテのクイーンステージでした。その日の終わり、勝者がフィニッシュラインを越えても、ジュリオ・チッコーネのサングラスは宙を舞いませんでした。
彼が勝ったとき、サングラスを空へ放り投げるのは、もはやファンにとっての約束事のようなものでした。けれどこの日、彼の手のなかにあったのは、勝利ではなく怒りだった。パッソ・ファルツァレーゴの山頂で、彼は1人の選手に向かって激しく身振り手振りで抗議し、カメラバイクにまで言葉をぶつけました。
なぜ、この男はこれほど燃えるのか。私はその怒りの奥に、彼という選手のすべてが詰まっているように感じています。穏やかな顔をして、いざという瞬間に火を噴く。その正体を辿っていくと、ひとつの土地に行き着きます。
アブルッツォの、山から
チッコーネは1994年、イタリア中部アブルッツォ州キエーティに生まれました。アペニン山脈の懐に抱かれた、山がちな土地です。坂を登ることがそのまま日常だった少年は、サイクリング愛好家だった父の影響で自転車に乗り、8歳になる頃にはもうプロになることを夢見ていました。
そして彼の内面や走りをよく知る人たちは、彼のことをライオンに例えます。
登る脚と、内に秘めた火。この2つが、のちにグランツールの山岳で何度も爆発することになります。
サングラスが、舞った日
2016年、デビューしたばかりのグランツールで、彼は早くも初勝利を手にします。ジロ第10ステージ、21歳での区間優勝でした。けれど彼のトレードマークが生まれたのは、それより少しあとのことだといいます。
2019年のジロ、モルティローロを越える第16ステージ。逃げ切って勝利を理解した瞬間、彼は自然にサングラスを宙へ放り投げました。本人いわく、計算されたパフォーマンスではなく、湧き上がった解放の身振りだったそうです。2年間ジロのステージ勝利から遠ざかっていた重圧が、あの一瞬で声となり、形となった。同じ年、彼はジロの山岳賞マリア・アッズーラも手にしています。
そして2023年。ツール・ド・フランスで、彼はマイヨ・ア・ポワ、山岳賞のジャージを勝ち取りました。イタリア人のツール山岳賞は、1992年のクラウディオ・キアプッチ以来、31年ぶりの快挙だったといいます。クライマーとして、彼はたしかに頂点に立ったのです。
サングラス投げは、いつしか彼の勝利の合図になりました。観客は、彼が腕を上げる前に、あのサングラスが空を切る軌跡を待つようになった。勝利と、解放と、彼の名前が、ひとつのジェスチャーに結ばれていったように思います。
ジロという、未完の物語
イタリア人にとって、母国のグランツールであるジロは特別なものです。チッコーネにとっても、それは生涯をかけて追いかけるレースでした。けれどその勝利は何度も彼の手のひらからすり抜けていったのです。
2020年、ブレイクの翌年で期待を背負いながら、彼は14ステージを走ったところで気管支炎に倒れ、ジロを去りました。2023年、ツール山岳賞という最高の年を迎える前に、彼はコロナで体調を崩し、ジロ出場そのものを断念しています。2024年は、冬のサドル関連のトラブルで2月に手術を受け、回復が間に合わずジロを諦めました。そして2025年、第14ステージの集団落車に巻き込まれ、右の大腿四頭筋を痛めてリタイア。
ジロ公式までもが、彼を「ジロとの未完の物語(unfinished business)」と特集したほどでした。欲しいものほど、遠ざかっていく。私はこの連なりに、彼の怒りの根っこがあるのではないかと感じています。
青いジャージは、頭の中に
2026年のジロ。物語は、美しい始まり方をしました。第4ステージで3位に入り、ボーナスタイムを得た彼は、キャリアで初めてマリア・ローザ、総合首位の桃色のジャージに袖を通したのです。31歳、ジロ初出場から10年、通算150ステージ目のゴールでのことでした。
けれど桃色は、翌ステージには彼の肩を離れていきました。チームが狙うステージ優勝は別にありエースもまた別の選手でした。チッコーネが首位を守る優先度は高くなかったのです。彼は早々に総合争いから降り、逃げの自由を手にする道を選びました。狙うのは、ステージ優勝。そしてもう一度の山岳賞。
ジロが進むにつれ、その逃げはヴィスマの統制に阻まれ、報われない日が続きました。第16ステージでは、そんなレース展開に苛立ちを隠せず補給ボトルを怒って投げ捨てる場面もあったといいます。日を追うごとにチャンスは少なくなっていく。ステージ優勝に青いジャージ、その二つが頭から離れない──彼はそう漏らしていたそうです。山岳賞のマリア・アッズーラ。その青だけが、まだ彼の手の届くところにありました。
約束を破ったのは、誰だ
そして、第19ステージ。ドロミテのクイーンステージで、すべてが噴き出します。
その日、チッコーネは逃げに乗るのに苦労し、最初の登りの手前でようやく大逃げに合流しました。皮肉だったのは、このとき彼が一緒に連れてきた1人が、セップ・クスだったことです。のちに、その判断が自分の首を絞めることになるのですが、それはもう少し先の話です。
火種は、ボーナスタイムと山岳ポイントを巡る口約束でした。モビスターのエイネル・ルビオは、こう主張しています。リドル・トレックと協調し、チッコーネに山岳賞を譲る代わりに、自分はレッドブルKMのボーナスを取る──そういう約束だった、と。
ところが、パッソ・ファルツァレーゴ途中のレッドブルKMで、ボーナスをさらったのはリドルのデレク・ジーでした。6秒。約束は、破られた形になったのです。その報復のように、ルビオはファルツァレーゴの山頂でチッコーネを出し抜き、最大の山岳ポイントを奪い去りました。
山頂で、チッコーネは激しく抗議しました。ルビオは肩をすくめるだけでした。チッコーネの言い分は、ルビオのそれと真っ向から食い違っています。
彼はイタリア語で、ルビオを「piccolo corridore」と評したといいます。直訳すれば「小さなレーサー」、けれどそこには格下扱い、小物という侮蔑のニュアンスが滲む言葉です。誰が約束を破ったのか。当事者の双方が「相手だ」と言い張り、真相は藪の中に残されました。私はこれを、どちらかを悪者にして裁くべき出来事ではないと感じています。極限のクイーンステージと、コミュニケーションの行き違いと、ボーナス制度が生んだ、偶発の確執だったのではないでしょうか。
確かなのは、その怒りが、燃料になったことです。
自分が、連れてきた男
怒りに突き動かされ、チッコーネは下りを攻めました。コーナーへ次々と身を投げ込み、追走に1分もの差をつけて、彼は単独で先頭に立った。チマ・コッピ、今大会の最高地点であるパッソ・ジャウを越え、山岳賞の青も大きく手繰り寄せていました。このまま逃げ切れば、未完の物語に、ようやく勝利の結末が書き加わるはずでした。
けれど、後ろから1つの影が、淡々と差を詰めてきます。セップ・クス。チッコーネ自身が、この日逃げに連れてきた、あの男でした。
クスは1kmあたり20秒というペースで追い上げ、最終登坂の残り2.2km地点で、ついにチッコーネを捕らえ、そして抜き去りました。フィニッシュの500m手前には、クスの母が応援に立っていました。クスにとって、ジロのステージ優勝は選手キャリアに唯一欠けていたピースでした。彼は涙ながらに、その夢が叶ったことを語りました。
チッコーネは、区間3位。自分が連れてきた男に、最後の勝利をさらわれたのです。デレク・ジーの言葉が、そのドラマを静かに締めくくっています。
青を、抱いて
チッコーネは、その後も山岳賞の青を守り抜きました。最終的なポイントは277。2位のヨナス・ヴィンゲゴーに11点の差をつけて、彼はマリア・アッズーラを最終日のローマまで運び、母国のグランツールから持ち帰ったのです。
けれど、本当に欲しかったものは、最後まで手のなかに残りませんでした。2026年のジロでも、ステージ優勝はゼロ。あのサングラスは、一度も宙を舞わなかった。彼が抱きしめて帰ったのは、勝利の赤ではなく、届かなかった夢のすぐ隣にある、青のジャージでした。
それでも、私はこの物語を、敗者の物語だとは思っていません。何度ジロに裏切られても、彼はまた逃げに乗る。報われないと知りながら、コーナーに身を投げ込む。
次のジロで、あるいはその次のジロ。
空を舞う青いサングラスを見てみたい──
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